「いいんだよ」は魔法の言葉Vol.3~大人たちよ、楽に、楽に~

「いいんだよ」は魔法の言葉Vol.3~大人たちよ、楽に、楽に~

エフコープでは、福岡市東区にある立花高等学校の校長・齋藤眞人(さいとうまさと)さんを招いて講演会「『いいんだよ』は魔法の言葉~寛容の精神が醸成される社会~」を開催しました。不登校の子どもたちの自立支援に努める齋藤さんの言葉。そこには、親として子育てに励む大人たちへの温かいメッセージが込められていました。

立派な人間に育てようとして、お子さんの子どもらしさを犠牲にしていませんか?

齋藤さん:
私が校長を務めている立花高等学校は、地元では「名前を書きさえすれば入学できる」と言われています。私は、それでいいと思っています。
うちの高校では、入試当日になるとこんな電話が掛かってきます。「子どもに受験をさせたいのですが、制服が入らないので、私服で行かせてもいいでしょうか?」。答えは、もちろんイエスです。制服が入らなくなるくらい長い間学校に行けなかった子どもが、入試に行こうと勇気を振り絞っている。その姿を想像するだけで、私は涙が出てきます。
中には、「恥ずかしい話ですが、うちの子は漢字が読めません。大変申し訳ありませんが、問題の漢字に読み仮名を振ってもらえるでしょうか?」といった電話が掛かってきたこともあります。言われなくても、うちの高校では入試の問題にすべて読み仮名を振っています。私は、子どもたちが漢字が読めないということは全然気になりません。なぜなら、今から読めるようになればいいからです。

ところが、大人は無意識のうちに「中学3年生なんだから、こんな漢字は読めて当たり前だろう」と思ってしまう。でも、よく考えてみてください。生まれた瞬間から漢字が読み書きできる子どもがいますか? あれもこれもできなかった子どもが、いつしか漢字が読めるようになっているわけですよね。「できる」という前提ではなく、「できない」という前提に立てば、子どもたちの頑張りが見えてきます。しかし親だからこそ、つい「できて当たり前」という目で見てしまい、子どもに多くのことを求めてしまう。
どうですか、みなさん。立派な人間に育てようとして、気が付かないうちにお子さんの子どもらしさを犠牲にしてしまってはいませんか?

子育てに、誰も正解なんて持ち合わせていない

齋藤さん:
おそらく、ほとんどのお母さんが「自分の子育ては間違っていないだろうか…」と自問自答の毎日を送られていることと思います。うちの高校に入学する子どものお母さんは、みなさん「私の育て方が悪かったから、子どもが不登校になったのでしょうか?」「私が間違っていたのでしょうか?」と口をそろえられます。
ところが、うちの高校に通う子どもたちは、みんなこう言います。「先生、お母さんを癒してあげて」と。なんでだと思います? 不登校になったことで責められるのは、子どもではなく、親だからです。さらに言えば、母親です。学校に行く・行かないに限らず、子どもができないことの責任は母親に向かいます。「あそこのお母さんの育て方は…」「お母さんが甘やかすから…」。そうやって責められる中、誰がニコニコ笑顔でいられるでしょうか。

しかし、私は子育て中のお母さん方に声を大にして伝えたい。誰一人、間違っているお母さんはいません。みなさんが生んだお子さんです。みなさんが思うように育ててください。他人にとやかく言われる筋合いはないし、それで頭を悩ます必要もないんです。
私たち大人だって、誰かの子どもです。しかし、親になった瞬間に、あれもこれも完ぺきにやろうとする。そして、「親として、間違っていないだろうか」「親として、このままじゃいけない」と思い、悩み、楽しいはずの子育てが、つらく大変なものに感じてしまう。このループから抜け出すことが大事なんです。

先ほど、「生まれた瞬間から漢字が書ける子どもはいない」と言いましたが、子どもが生まれた瞬間から完ぺきな親である大人もいません。子育てに、誰も正解なんて持ち合わせていないんです。人は人、自分は自分。そう思って、子どもと向き合ってください。そして、子育てというかけがえのない時間を楽しんでほしいと思います。
「できる」という前提ではなく「できない」という前提に立って、子どもの、そして自分の頑張りに気付いてあげましょう。大人たちよ、楽に、楽に!

profile

齋藤眞人(さいとうまさと)さん

齋藤眞人(さいとうまさと)さん

1967年宮崎県生まれ。宮崎県の公立中学校の音楽教員を経て、2004年に立花高等学校に着任。2006年から校長を務める。日々、学校で多くの生徒たちと触れ合う一方で、講演活動は年間100本以上。座右の銘は「共にいる」。
著書に「『いいんだよ』は魔法の言葉-君は君のままでいい-」(梓書院)