「いいんだよ」は魔法の言葉Vol.2~100回の「しなさい」よりも、1回の「ありがとう」

「いいんだよ」は魔法の言葉Vol.2~100回の「しなさい」よりも、1回の「ありがとう」

福岡市東区にある立花高等学校。その校長として数多くの不登校の子どもたちと向き合ってきた齋藤眞人(さいとうまさと)さんを迎え、エフコープ中部ブロック活動委員会主催で講演会を開催しました。その中で語られた齋藤さんの思いをお伝えします。

100回の「しなさい」よりも、1回の「ありがとう」

齋藤さん:
ある日のこと、教師が笑顔で挨拶をした子どもを抱きしめて「挨拶してくれてありがとう」と言っているのを目にしました。「実はね、先生、今日学校に来るのがしんどかったんだ。でも、あなたの笑顔が先生の心を救ってくれた。ありがとう。本当にありがとう…」。そして、抱きしめられた子どもが先生の背中をさすりながら「先生も大変なんやね~」と声を掛けていました。

それを見た瞬間、私は子どもたちに「挨拶せんかー!」と言っていたことを恥ずかしく思いました。「挨拶せんかー!」と言ってきたことが間違っていたわけではないと思います。ただ、子どもたちにとっては「挨拶しなさい」と言われるよりも、「挨拶してくれてありがとう」と言われた方がうれしいに決まっています。100回の「挨拶しなさい」と、1回の「挨拶してくれて、ありがとう」。子どもからすると、どちらが挨拶しようという気持ちになるでしょう?

日本の子どもたちは、先進国の中でも「自己有用感」が著しく低いと言われています。自己有用感とは、「自分の存在が周りの人に役立っている・貢献できている」と思える感情のこと。この自己有用感が高ければ高いほど、他者への思いやりや感謝の気持ちを持った人間に育つと言われています。

自分の話で恐縮ですが、私は子どものころ、跳び箱が全然飛べませんでした。でも、担任だった先生が私にこう言ってくれたんです。「あんたがニコニコ笑顔で練習してくれたけん、クラスのみんなも笑顔になった。ありがとうね」。それ以来、どんなに跳び箱が飛べなくても、体育の授業が嫌いにはなりませんでした。だって、自分が頑張ることで、クラスのみんなが笑顔になってくれるわけですから。そうやって頑張るうちに、何とか跳び箱が飛べるようになった。このときの嬉しさは、今でもはっきりと覚えています。

人は、本当に苦しいときに「苦しい」と言えない


齋藤さん:

私はこれまで、数多くの不登校の生徒と向き合ってきました。その経験を通して感じるのは、誰一人として、甘えて不登校になった子はいないということです。ただ、不登校になることで自分の限界を周りに伝えようとする子どもたちよりも、心が折れてしまっているにもかかわらず、毎朝、歯を食いしばりながら笑顔で「行ってきます!」と言っている子どもたちの方が、私はよっぽど心配です。ここで、1つの詩を紹介します。

人は、本当に苦しいときに「苦しい」と言えない。
本当につらいときに「つらい」と言えない。
泣いている人ばかりに気を配るのではなく、
泣けない人こそ愛してあげよう。

みなさんのお子さんは、苦しい時に「苦しい」と言えていますか?
つらいときに「つらい」と泣けていますか?

日本人は、歯を食いしばって物事を耐え抜くことを美学として育てられています。でも、苦しいときに「苦しい」「助けて」と言える社会こそ、お互いの存在を大切にできるのではないでしょうか。日本の大人たちは、社会の厳しさを教えようとする。それはそれで、いいんです。だからこそ、凛とした日本の子どもたちが育つわけですから。ただ、それだけじゃなく、社会の温かさや寛容さを伝えていくことも、私たち大人の役割ではないでしょうか。

助けてほしい人が「助けて」と言える、頑張っている人が自分の小さな頑張りに気付ける、そんな寛容の精神が醸成される社会になることを心から願っています。
みなさんのお子さんもそう、そして、みなさんもそう。
「大丈夫。それでいいんだよ」。

profile

齋藤眞人(さいとうまさと)さん

齋藤眞人(さいとうまさと)さん

1967年宮崎県生まれ。宮崎県の公立中学校の音楽教員を経て、2004年に立花高等学校に着任。2006年から校長を務める。日々、学校で多くの生徒たちと触れ合う一方で、講演活動は年間100本以上。座右の銘は「共にいる」。
著書に「『いいんだよ』は魔法の言葉-君は君のままでいい-」(梓書院)