安武信吾さんとはなちゃんの、今。あれから10年、父の子育て 第2話
(写真)インタビュー中に急きょ、取材場所に来てくれたはなちゃん。安武さんとのなごやかなツーショットです。
限られた命を懸命に生きながら、食べることの大切さを娘に伝えた母の生きざまを綴った『はなちゃんのみそ汁』。第1話では、その著者で娘・はなちゃんの父親でもある安武信吾さんが、妻の千恵さんが亡くなった後にシングルファーザーとしてはなちゃんをどう育ててきたかについてお話をお聞きしました。引き続き第2話では、安武さんが千恵さんの遺志を継いで日々、向き合っている食を通じた子育てについてご紹介します。
みそ汁づくりは、はなちゃんの「仕事」
(写真上)千恵さんが亡くなった後、5歳のはなちゃんが書いた「はなのしごと」。
(写真下)「小さいなりに、一生懸命家事を手伝ってくれた」という5歳のころのはなちゃん。
千恵さんが亡くなって以来、はなちゃんはお母さんから受け継いだみそ汁づくりが毎朝の日課となりました。
安武さん:
「当時、はなは5歳でしたが、僕と一緒に台所に立つようになったのは千恵の四十九日が終わった頃。きっかけは、はなが紙に書いたこんな言葉でした。
あさすること
かおあらう おいのり えさやり さんぽ てあらい みそしるづくり あさごはん……これがはなのしごと
実はこれ、はなが千恵と台所で交わした約束事で、その中には『みそしるづくり』というのもちゃんと書かれていたんですね。
僕は、千恵が旅立ってから深い喪失感でうつ状態が続いていたんですが、これを読んでようやく目が覚めて、『千恵とはなに申し訳ない、このままじゃいけない』と気持ちを切り替えることができました。それから生活を立て直し、はなが毎日みそ汁を作るようになったんです。
生きる意味すら失っていた僕を、はなが助けてくれたんです。はなはその後、みそ汁作り以外の家事も手伝うようになりました。
そういえば、はながまだ小学生の頃、インタビューで『はなちゃんはなぜ、毎日おみそ汁を作るの?』と聞かれた時、『パパが笑ってくれるから』と答えたことがあります。もう今は声に出して言うことはありませんが、きっと同じ気持ちで作っているのだと思います」
子どもに役割を持たせることの大切さ
千恵さんからみそ汁づくりを教わる中で、はなちゃんはそれを自分の毎朝の役割だと認識していったのでしょう。
安武さん:
「実は、『はなちゃんのみそ汁』が広く知られるようになって、『亡くなった母親は、みそ汁づくりを父親に教えるべきだった』『子どもを台所に立たせるなんて虐待だ』などの中傷を受けることも少なくありませんでした。
家庭の事情はさまざまです。いろいろな考え方があって当然ですが、千恵は幼い娘に『自分の役割』を持たせたかったのではないでしょうか。つまり、自分の役割を持った娘は、親に感謝されることで『自分は家族に必要とされている』ことを実感できるようになります。それは『生まれてきて良かった』と、自分の生を肯定することにもつながります。その自己肯定感こそが、これからの長い人生、困難を乗り越えて生きていくための大きな力になっていくわけです」
千恵さんがはなちゃんに伝えたかった「生きていく力」
2歳のころのはなちゃんとお母さんの千恵さん。
通っていた保育園でのみそづくり講習会。
安武さん:
「みそ汁づくりを通じて千恵がはなに伝えたかったのはレシピだけではなく『生きていくための力』。ちゃんとご飯を炊いてみそ汁を作ることができれば、生きていける。千恵は自分がずっとそばにいてやれないことを薄々感じていたからこそ、心を鬼にして、はなを台所に立たせたのだと思います。
小さいうちから子どもに役割を与えるとなると、見守る親にも我慢と労力が必要ですが、何かひとつでもいい、ぜひ子どもに家の中での役割を持たせてあげてほしいです」
台所は思いやりや情感豊かな心を育む場
朝食の用意をする、5歳のはなちゃん。
ところで、はなちゃんはなぜこれまで、みそ汁づくりを嫌がることなく続けてこられたのでしょうか?
安武さん:
「幼児教育の専門家によると、子どもが台所に立ちたがる年齢のピークは5歳ぐらいだそうです。しかし、親も忙しい。子どもに台所を占領されたら、たまったもんじゃないから追い出してしまう。
子どもはせっかく興味を持ち始めた『食』に触れる機会を失ったまま成長し、親が『そろそろ料理ぐらいは教えなきゃ』と思う頃には、塾だ部活だと忙しくてそれどころではない状況に。そうして『食べることの本質』に目を向けないまま成長すると、その子の将来の食生活にも大いに不安が残ります。
はなは幸運にも4歳の頃から千恵に料理を教わったので、その後も食に興味を持って楽しく続けてこられたのだと思います。
子どもが台所に立つことは、とても深い意味があると思うんです。台所は、栄養とか調理だけではなく、他者への思いやりや情感豊かな心を育む場でもあります。もちろん、最初からそんなことがわかっていたわけではありませんが、はなが成長するにつれてそう実感するようになりました」
好きなことを思いっきりやってほしい
(写真上)親子で参加した講演会。はなちゃんと一緒に全国あちらこちらに行けるのも、
安武さんにとってはいい思い出になっているそうです。
(写真下)小学生にみそ汁づくりを教えるはなちゃん。子どもたちはみんな、自分よりも
「ちょっとお姉さん」のはなちゃんの真似をして、一生懸命みそ汁を作ります。
安武さん:
「はなは今、大学の先生の指導で毎月2回、西日本新聞に『はなちゃんの台所 15歳のレシピ』と題した連載を執筆したり、僕と一緒に全国各地の子どもたちを対象に、みそ汁づくりを教えたりしています。
考えてみると、こうした機会が娘に与えられているのは、『はなちゃんのみそ汁』が世に出て、多くの方が本を読んでくださったからこそ。
はなは幼くして母親を亡くしましたが、多くのご縁や周囲の方たちに支えられて、他の人にはなかなかできない素晴らしい経験をさせていただいています。これらはきっと千恵がつないでくれていることなんだと、しみじみ感じています。
そうそう、はなはインタビューで将来の夢について聞かれると、いつも『管理栄養士になりたい』って答えていますが、あれはどうなんだろう。本音なのかな。ひょっとしたら、ダンスを踊る仕事がしたいんじゃないかなと(笑)。以前からダンスが大好きで、今もヒップホップやジャズダンスを習っていますし、家でも汗だくになって踊ってます。
でも、将来の仕事はまだ決めなくたっていい。今は好きなことを思いっきりやってほしいですね」
子育ては楽しい。できればもう1度やりたい。
インタビューの最後、安武さんは子育てについてこんなふうに締めくくりました。
安武さん:
「もちろん苦労は嫌というほどありますが、子育てって本当に楽しい。もし、子育てに関わる時間をあまり持てていないお父さんがいたら『もったいないですよ~!』と言いたいですね。子どもが大きくなるのはあっという間ですから。
僕はできればもう1回、最初から子育てをやってみたい。たくさんの失敗を経験したからこそ、もっとうまくやれる自信があります(笑)」
手探りで始まった安武さんの子育て。その10年間の結果は、明るく元気いっぱいに成長したはなちゃんや、現在の父と娘の素晴らしい関係に表れているような気がします。千恵さんもきっと、笑顔で見守っていることでしょう。
profile
安武信吾(やすたけしんご)さん
西日本新聞社編集委員。1963年生まれ。福岡県宮若市出身。1988年、西日本新聞社入社。久留米総局、宗像支局、運動部、出版部、地域づくり事業部などを経て、2015年8月から現職。西日本新聞で連載「はなパパの食べることは生きること」を執筆(2015年9月~2017年3月)。著書は、がん闘病中の妻と幼い娘とのくらしを綴ったノンフィクション『はなちゃんのみそ汁』(文藝春秋)。2016年、俳優の広末涼子さんが主演を務める同名の映画が全国で公開された。
西日本新聞社:https://www.nishinippon.co.jp/hanbai/hanapapa/